2008年04月07日
私が新人スチュワーデスだったころ
経革広場の今月のお題。
3月に続いて今月も投稿が少なく、ナレッジネットワークの森戸社長だけ。
それにしても森戸社長、今月は特に力が入っていますね。
読みながらこんなに書けない~と思いましたが、サラッと思い出話を書くことにしました。
さて、大学を中退して航空会社に入社したのは20歳の頃。
スチュワーデスという仕事は私のように大学を中退して受験し、入社するという人も珍しくなく、
同期入社の30数名は、当時は高卒の18歳から大卒の23歳まで、幅広い年齢層のメンバーでした。
まず入社前に5日間の合宿訓練。
その間、バスケットなどの体育競技も研修プログラムに入っていましたが、
みんなすごいんです。
本気で挑んでくるんです。
入社試験を受ける段階から、勝負にさらされているせいか真剣勝負。
初めにショックを受けたのはこのことでした。
そして入社。
入社してからはグランドスクール。
航空機のこと、気象のこと、安全管理のこと、サービスのことなど徹底的に叩き込まれます。
思い出深いのは、エマージェンシー訓練。
緊急着陸、緊急着水、上空でのタービュランス(揺れ)など、実戦(?)さながらのトレーニング。
ボーイング747の二階客室からシュートを使って緊急脱出するトレーニングなどかなり迫力ものでした。
こんな地上訓練を経て、いよいよ乗務。
初めはインストラクターの管理(監視?)下で、訓練生バッジをつけて乗務。
フライトごとにインストラクターの先輩から個別のブリーフィングを受け、
重箱の隅を針でつつくようなコメントを頂戴し、
ありがたいご指導をいただく、というもの。
余談ですが、この訓練の時に、あまりにも厳しい指導にショックを受けて、
乗務終了後に、羽田から横浜の寮までホツンポツンと歩いて帰ってきた友人がいましたね。
さすがにあれには驚きました。
このような長いOFFJTとOJTがやっと終わったら、一応は独り立ち。
それでも飛び始めても下っ端。
フライト前には一番早く出社して運行に関するあらゆる情報をくまなく調べ、フライトログにメモして、
プリブリーフィングの時にクルー全員に報告。
さらに、下っ端はクルーのお弁当運びも、当時は重要任務でした。
たとえばトライスターに乗務するときは、客乗のクルーは8人。
なので下っ端二人が、インターバル(フライトとフライトの間)の時にお弁当を取りに行く仕事です。
それからドア係も。
クルー全員が、縦一列になってえらい(ふるい)人から順番にシップに向かいます。
その時、ドアがあるたびに一番下っ端は、一番後ろから一番前に走り、
扉を開けて全員が通るまでドアを押さえてサイドに控え、最後に扉をしめます。
すべてのドアを通るたびにこれを繰り返します。
エレベーターの乗り降りの時も同様です。
こんな新入社員時代をすごしました。
本当に懐かしい思い出です。
今では私たちの時代のような無駄な習慣はかなり省略されているようですし、
年功序列もなくなっているようです。
そのあたりのことは、ANA OGのkeikoさんのサイトで4コマ漫画を読めますよ。
こんな厳しい訓練時代をすごしたからこそ、今の私があるのだと思います。
先日、東京のANAインターコンチネンタルホテルで久しぶりの同期会がありましたが、
どんなに時間が経っても、ともに厳しい訓練を耐え抜いた仲間なので、
いまでもやっぱり仲間なのです。
さらに先日は、当時お世話になったデイリーさん(スチュワーデスのスケジュールなどを担当する男性社員)も、偶然にも同じホテルで会合をしていて、途中、飛び入りで参加してくれました。本当に懐かしかったですね。
新入社員のみなさん、入社して間もないみなさん、
これからつらいと思うことはいろいろあるかもしれませんが、
それは10年か20年経つといい思い出に変わるもの。
つらい経験に耐え抜いた自信は、自分を大きく花咲かせてくれる財産となります。
どうぞ、いろいろな経験をして、大変な経験もして、
その後の人生を明るく切り開いていってください。
応援しています。
花の全日空116期、今も健在
3月に続いて今月も投稿が少なく、ナレッジネットワークの森戸社長だけ。
それにしても森戸社長、今月は特に力が入っていますね。
読みながらこんなに書けない~と思いましたが、サラッと思い出話を書くことにしました。
さて、大学を中退して航空会社に入社したのは20歳の頃。
スチュワーデスという仕事は私のように大学を中退して受験し、入社するという人も珍しくなく、
同期入社の30数名は、当時は高卒の18歳から大卒の23歳まで、幅広い年齢層のメンバーでした。
まず入社前に5日間の合宿訓練。
その間、バスケットなどの体育競技も研修プログラムに入っていましたが、
みんなすごいんです。
本気で挑んでくるんです。
入社試験を受ける段階から、勝負にさらされているせいか真剣勝負。
初めにショックを受けたのはこのことでした。
そして入社。
入社してからはグランドスクール。
航空機のこと、気象のこと、安全管理のこと、サービスのことなど徹底的に叩き込まれます。
思い出深いのは、エマージェンシー訓練。
緊急着陸、緊急着水、上空でのタービュランス(揺れ)など、実戦(?)さながらのトレーニング。
ボーイング747の二階客室からシュートを使って緊急脱出するトレーニングなどかなり迫力ものでした。
こんな地上訓練を経て、いよいよ乗務。
初めはインストラクターの管理(監視?)下で、訓練生バッジをつけて乗務。
フライトごとにインストラクターの先輩から個別のブリーフィングを受け、
重箱の隅を針でつつくようなコメントを頂戴し、
ありがたいご指導をいただく、というもの。
余談ですが、この訓練の時に、あまりにも厳しい指導にショックを受けて、
乗務終了後に、羽田から横浜の寮までホツンポツンと歩いて帰ってきた友人がいましたね。
さすがにあれには驚きました。
このような長いOFFJTとOJTがやっと終わったら、一応は独り立ち。
それでも飛び始めても下っ端。
フライト前には一番早く出社して運行に関するあらゆる情報をくまなく調べ、フライトログにメモして、
プリブリーフィングの時にクルー全員に報告。
さらに、下っ端はクルーのお弁当運びも、当時は重要任務でした。
たとえばトライスターに乗務するときは、客乗のクルーは8人。
なので下っ端二人が、インターバル(フライトとフライトの間)の時にお弁当を取りに行く仕事です。
それからドア係も。
クルー全員が、縦一列になってえらい(ふるい)人から順番にシップに向かいます。
その時、ドアがあるたびに一番下っ端は、一番後ろから一番前に走り、
扉を開けて全員が通るまでドアを押さえてサイドに控え、最後に扉をしめます。
すべてのドアを通るたびにこれを繰り返します。
エレベーターの乗り降りの時も同様です。
こんな新入社員時代をすごしました。
本当に懐かしい思い出です。
今では私たちの時代のような無駄な習慣はかなり省略されているようですし、
年功序列もなくなっているようです。
そのあたりのことは、ANA OGのkeikoさんのサイトで4コマ漫画を読めますよ。
こんな厳しい訓練時代をすごしたからこそ、今の私があるのだと思います。
先日、東京のANAインターコンチネンタルホテルで久しぶりの同期会がありましたが、
どんなに時間が経っても、ともに厳しい訓練を耐え抜いた仲間なので、
いまでもやっぱり仲間なのです。
さらに先日は、当時お世話になったデイリーさん(スチュワーデスのスケジュールなどを担当する男性社員)も、偶然にも同じホテルで会合をしていて、途中、飛び入りで参加してくれました。本当に懐かしかったですね。
新入社員のみなさん、入社して間もないみなさん、
これからつらいと思うことはいろいろあるかもしれませんが、
それは10年か20年経つといい思い出に変わるもの。
つらい経験に耐え抜いた自信は、自分を大きく花咲かせてくれる財産となります。
どうぞ、いろいろな経験をして、大変な経験もして、
その後の人生を明るく切り開いていってください。
応援しています。
花の全日空116期、今も健在
Posted by 三浦織江 at 10:55│Comments(0)
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